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ナルセコーポレーションの歩み

会社概要

ナルセコーポレーションの歩み

請負師から「総合建設業」へ。西三河の地と共に100年を歩む

こんにちは。ナルセコーポレーションの社長を務める三代目の成瀬介宣です。

当社は、住宅を含めた建築や土木の事業に携わる総合建設会社です。確かな技術力を軸とした施工の品質とノウハウは、官公庁や民間企業をはじめとする発注者の皆様から高い評価をいただいてきました。私たちはさらに、そうした評価に甘えることなく世の中のニーズに合わせて日々進化していく必要があります。

もうすぐ100年を迎えるナルセコーポレーションがこれまでどのような歩みを進め、これからどういう方向を目指していくのか。じっくりお話ししましょう。

 

大正10年、成瀬組が誕生しました

初代の成瀬徳治が安城に「成瀬組」を創業したのは、大正10年(1921年)のこと。建設の資材となる木材や石材を運ぶ個人営業の請負師として第一歩を踏み出しました。

当時の安城は日本のデンマークと呼ばれる先進的な農業地帯でした。地域発展の礎となったのは、明治13年(1880年)に開通した明治用水です。それまで、この一帯は安城ケ原という何もない原野でした。1820年代、地元の豪農・都築弥厚が水路の必要性を唱えて測量を実施しました。その後明治期に入ってから、伊豫田与八郎と岡本兵松の2人が都築の測量記録と思いを受け継ぐ形で用水を実現させます。以降、周辺一帯では開墾が進み、日本有数の農業地帯へと発展しました。まさに、明治用水という社会インフラが地域の繁栄を生み出したのです。

明治の後半になると、鉄道の敷設が始まりました。明治23年(1890年)には東海道本線の安城駅が完成。大正年間には愛知電気鉄道(現在の名鉄=名古屋鉄道)や碧海電気鉄道(同)が次々に開通し、安城の市街地が形成されていきました。初代の徳治が当時の鉄道の枕木を運んだ、という話を聞いたこともあります。

とはいえ、その後昭和に入ってもいわゆる公共事業は少なく、今日のような建設業の仕組みも整っていません。前近代的だった時代のなかで、徳治は苦労しながら少しずつ事業を大きくさせていきました。会社に製材所を併設して丸太の加工を行い、建設現場への資材の供給さらには施工の分野にも手を広げていきます。下請けの協力会社に株券で支払うような厳しい時期も体験しながら、実績を積み重ねていきました。

 

初代 成瀬徳治

初代 成瀬徳治

 

黎明期から発展の時代へ 

戦後復興と共に迎えた飛躍の時期

太平洋戦争が終わり、日本の社会は大きく転換します。街の復興を担う建設業の在り方も新たに整備されました。建設業法が昭和24年に制定され、工事を請け負う会社は建設業の許可を得ることが定められました。徳治は、昭和25年(1950年)にいち早く株式会社成瀬組を設立。同年、初めての建設業登録を行いました。今日に至る総合建設会社としての成瀬組の歩みは、ここから始まります。

戦後の国民が夢に描いた文明的な生活を実現させるには、インフラが必要です。徳治には、安城を中心とする地域の建築・土木工事を通して、新しい国土をつくっていくのだという使命感と高揚感があったことでしょう。復興需要の拡大に伴い、成瀬組が受注する公共事業も増えていきます。木造の学校から橋梁、道路、護岸などの工事まで、建築から土木に至る幅広い事業を手がけるようになりました。昭和38年(1963年)に完成した、当時の雇用促進事業下管池移転就職者用宿舎の団地はその一例です。

徳治は、地域の人々に成瀬組を知っていただくことが重要と考えていました。時には赤字を覚悟で受けることも辞さずに、積極的に仕事を請け負ったといいます。成長する時代の追い風を受けて、成瀬組は大きく飛躍していきました。

 

雇用促進事業 下管池移転就職者用宿舎

雇用促進事業下管池移転就職者用宿舎

存続する組織の体制を整えた二代目

日本が高度経済成長の真っ只中にいた昭和40年(1965年)、二代目の成瀬敬一が社長を継ぎました。敬一の功績は、それまでイケイケどんどんの姿勢で伸びてきた成瀬組の組織を現代社会にふさわしい姿へと整えた点にあります。将来に向けて存続していく組織として、成瀬組の基盤を固めていったのです。

信頼できる企業として認められるには、人材の育成が重要になります。個人の充実があってこそ、良い仕事が生まれる。そして「人」を育てるのは「組織」だと敬一は考えていました。給料体系や保険、退職金、労災をはじめとする賃金・福利厚生の仕組みを整備。社員1人ひとりが安心して仕事に取り組み、家族も含めた幸せの基盤を提供できるように組織を整えました。

高度経済成長の後にはオイルショックや建設冬の時代と呼ばれる停滞期もありましたが、基本的には公共でも民間でも建設投資が右肩上がりに伸びる時代が続いていました。成瀬組は着実に実績を重ねながら技術力とノウハウを蓄積し、官民の発注者から高い評価を得る会社へと成長しました。

二代目・敬一の晩年に当たる平成4年(1992年)、成瀬組は新たな一歩を踏み出します。株式会社ナルセコーポレーションへと社名を変更し、併せて本社を現在地に移転しました。

 

二代目 成瀬敬一

二代目 成瀬敬一

 

次は、『「よろず屋」として、地域の幅広い建設ニーズに応え続ける』

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